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盛秀太郎
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盛秀太郎は明治28年、青森県温湯温泉の代々木地師の家に生まれ、16歳より父元吉のもとで、椀や杓子などの生活に必要なさまざまな木地を挽き始めた。 こけしを作り始めたのは、大正3年頃。
すでに宮城県の鳴子や遠刈田ではこけしが作られ、素朴であじわいのある郷土玩具として全国に知られていた。

津軽にも、こけしの原型といえるような、子供のおしゃぶり(なめり棒)や民間信仰の対象(山中三助人形)は存在していたが、ここではまだ、「こけし」として世の中に認められるものにはなっていなかった。

そこに独自の創造性を加味して、津軽系こけしの礎を築いたのが盛秀太郎であった。
他県のこけしが、徒弟制度のなかで厳しく伝統を守って作られていたのに対し、盛秀太郎らに始まる津軽系こけしは、縛られるべき伝統を持たない自由な創作工夫と新しい感覚で、やがて全国の注目を集めることとなった。

しかし、盛秀太郎は木地師、職人である。 脚光を浴び、全国から注文が殺到し、世界的版画家棟方志功が激賞しようとも、納得のいかないものは完成寸前であっても、火に投じた。一徹な職人気質の工人は、それゆえに寡作であり、その作品は必然的に珍重された。

昭和30年代のこけしブームの祈りには、全国から現金同封による注文が殺到した。ほとんどが「できるまで1年でも待つ」というものだった。断るのに大変だった。

「有名になることは、おそろしいことだと思いました。金が入るのはありがたいけど、それこそ金縛りになって身動きができない。病気にもなれないです。金がないのもつらいけど、勝手に金が舞い込んでくるのもこわいもんです」

晩年、作品に驚くほどの値がつくようになっても、その一徹ぶりは変わらず、生活は最後まで質素そのものであった。

秀太郎はまた、弟子に厳しい職人であった。
住み込み、無給の昔ながらの徒弟制度がここにもあった。後に温湯系こけしの若い牽引力となる奥瀬鉄則や佐藤善二(共に故人)は、多くを語らない師匠の仕事ぶりを盗んで修行し、優れたこけしを世にだした。やや遅れて、孫の美津雄も加わり、盛秀こけしの伝統は確かに受け継がれた。

津軽の静かな温泉町の小さな作業場で、生涯を職人として生きた盛秀太郎の仕事には、崇高な精神の昇華を見ることができる。

昭和61年、盛秀太郎は、温湯の木地師を貫いた91年の生涯を閉じた。
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